会員寄稿

〝第二の故郷〟英国よもやま話

有賀 隆治
(ありが・たかはる=昭和40年経営卒、連合駿台会顧問・評議員、元凸版印刷常務取締役)
2019年1月8日

 

りんごの木

初めて英国・ロンドンに来たのは私が1978(昭和53)年の春、その暮れには妻と3歳の長男と生後4か月の次男が母親と一緒にパスポート写真に納まっていました。
ロンドン市北部のゴーダスグリーン地区で、別名をJ・Jエリア(ジュィシュ・ジャパニーズ=ユダヤ人と日本人が多く住む地区)に庭付き一軒家に住みました。ニューヨークやパリでも大都会では生活地域により環境や治安悪い所があり、私たち駐在員は安全を第一に住居を選びます。それと子供たちのために日本人学校に通える場所になります。本当に道路一本隣りの地区が治安の悪い所になります。
ロンドンで家族と一緒に生活がスタートすることを記念して庭に長男と同じ3歳のりんごの木を植えました。膝まであるかないかの小さな苗で英国らしい木をということでコックス種を選びました。6年後、次男がちょうど小学校1年生になるのを機に家族は帰国しましたが、私は仕事の関係でその2年後に帰任しました。
また、1992(平成4)年3月に二度目のロンドン勤務は子供たちの教育問題で単身赴任を余儀なくされました。その夏、家族が夏休みで訪れてくれた時、みんなで昔の家を見に行きました。ロシア人一家が住んでいたが留守だったので、お隣の家の庭から覗いて見ました。リンゴの木は健在でほんのり赤くなった実が2つになっていました。
  • 【17歳のリンゴの木(1992年8月)】
    “感動”の一瞬でした。お隣というのは英国人のキャッシーおばさん(当時80歳)で、大きくなった息子たちとの再会を、それはそれは喜んでくれ、家内とは涙の再会でしばらく抱き合っていました。このキャッシーおばさんには生活の面で本当にお世話になり、幼い息子たちの面倒をよく見てくれました。ご主人を亡くされ、二人の娘さんの一人と住んでおり大変ハイカラな人で、1940年代の若いころには英国領の南アフリカ・ケープタウンに住みゴルフを楽しんでいたようです。
    そのゴルフクラブはドライバー、スプーン、アイアンの3、5、7、9番とパターですが、当時はこれがフルセットのようでした。そして何といってもシャフトが木製です。製造年で言えば約90年以上になっており、大変なお宝になるかもしれませんね!そのゴルフセットはボロボロの革製バッグと一緒に私が譲り受け、大事に保管しています。
    その後、1998年に駐在のニューヨークからロンドンに出張した折に、一人で23歳になるりんごの木を見に行き、赤い実が7つになっていました。そこに住んでいるロシア人にも会うことが出来ましたが、驚いたことに私たちのリンゴの木の隣にもう一本のりんごの木が植えられていました。ロシア人はりんごの木についてはキャッシーおばさんから聞いており、子供さんと同じ歳の木を植えたようで、これから先も大事に育ててくれることを約束してくれました。このりんごの木のお陰で私たちはロンドンを訪れる楽しみが一生続くことで英国・ロンドンは心の中で第二の故郷になりました。
  • 【1930年代の製造クラブ(1986年撮影)】

    最初の8年間(1978年~1986年)の主な出来事

    1.1979年女性初のサッチャー首相就任。“鉄の女”の異名を持って労働者のストライキの多い英国病を大手術し、「働かざる者食べるべからず」主義で英国経済を再生させたし、1982年にはフォークランド紛争が勃発し、アルゼンチン軍の侵略に対し、間髪入れず艦隊、爆撃機を派遣し放逐した決断は凄かった。
    当時、日本の新聞は「英ア戦争に」という見出しで日本にいる姉から「ロンドンは大丈夫か?」の電話をもらいました(笑い)。英国領フォークランド諸島はアルゼンチンの南、南極に近い島々の一つですが、領土を守るという一国の首相としての使命感はどこかの国の首相にも学んでほしいです。
    2.1981年7月、チャールズ皇太子とダイアナ妃の世紀の結婚式はおとぎの国を思わせる素晴らしいウエディングで、特にセントポール寺院からバッキンガム宮殿まで馬車でのパレードは沿道の国民から大祝福を受けて無事終え、宮殿正面での“ロイヤルキス”は国民の大喝采を受けました。治安の良さと厳重警備は英国の誇りでもありました。
    3.1985年現皇太子がオックスフォード大学の留学を終えて日本大使館主催の“ご帰国パーティー”に招待された時の記念写真です。さて、どんな元号になるのでしょうか。
  • 【現皇太子のご帰国パーティーにて(1985年7月)】

    United Kingdom(連合王国)の概要

    英国駐在は1978年から8年間、1992年から4年間であるが、仕事の守備範囲は、北はフィンランドから南はイタリアまでの欧州各国とイスラエル、南アフリカも含みますが、月に3~4回は出張しておりました。もちろん、パリ、アムステルダム、デュセルドルフ、コペンハーゲンなどは日帰り出張のコースです。
    皆さんの中でもロンドンに旅行された方も多いと思いますが、ロンドン地下鉄に乗ると日本語が聞こえて来てビックリしました。“マインダゾー・満員だぞー”と。ラッシュアワーだから当たり前のことですが、他の時間でも聞こえます。これは“Mind the door!”で、「閉まる扉にご注意下さい」のことです。次に違う駅では“マインダギャー”と名古屋弁が聞こえてきました。私は愛知県出身ですのでビックリしました。これは“Mind the gap!”「列車とホームの間が大きいのでご注意下さい」のことです。これだけでももうロンドンが好きになってしまいます(笑い)。
    日常会話での苦労は沢山ありますが、朝食の時によく間違えるのが炒り玉子(スクランブルエッグ)を頼むときですが、玉子2つ入りの場合に①「ツースクランブルエッグ、プリーズ!」と言うと二人分出てきます。一人でいても二人分食べる人かと思い、聞き直しもしないのが常です。②従って、「スクランブルツーエッグ、プリーズ!」と言わないと玉子2つ入りは出てきません。
    まず初めに英国の正式国名はご存知でしょうか?United Kingdom of Great Britain and Northern Irelandと長いものです。即ち、「グレイトブリテンと北アイルランドの連合王国」で、グレイトブリテンはイングランド、スコットランド、ウエールズの3地域があり、北アイルランドと合わせて4地域からなる連合王国で、一般に略してUKと呼んでいます。日本語では英国、イギリスと呼んでいます。イングランドは1536年にウエールズを併合し、1707年にスコットランドを併合し、1800年に北アイルランドを併合という歴史があります。従って、イギリス人と呼んでいる人のルーツは大陸から来たアングロサクソン人のことで純粋なイギリス人は存在しないのです。
    また、イギリス人を示す言葉でJohn Bull(ジョンブル)と呼んだり、イングリッシュと呼んだりします。街でイギリス人に会ってAre you English?と聞くとイングランド出身者はYesと答えますが、ウエールズ人はNo.I am Welish.と スコットランド出身者もNo. I am Scottish.と答えます。ところが、Are you British?と聞くと、北アイルランド出身以外はYes,I am.と答え、I am Scottish.とルーツを言う人もいます。
    ワールド・サッカーやラグビーで英国として一つのチームでなく、イングランド、スコットランドなど別々のチーム名で出場するのも、かつては別の国だったからです。民族的にはケルト、アングロサクソン、ノルマンなどの子孫が混在して、全て大陸から渡来してきた民族です。
    *政治形態は国王を国家元首とする立憲君主制で、現在はエリザベス二世女王です。日本の天皇陛下のように国の象徴ではなく、女王は国会の解散、召集や任命など最高執務権限を持ち、政治や外交などにも深く係る権力を有しています。毎年のクリスマス・メッセージは大変有名です。
    *面積は日本の約3分の2で、人口も約半分の約6600万人ですが、面積の大きいイングランドにはほとんど山はなく、丘陵地帯と平野ですので、牛や羊の群れが至る所で見られる美しい田園風景があり、自然の豊かさを感じさせます。また、緯度は北緯50~60度で、樺太に当たりますが、メキシコ暖流の影響で冬でもマイナス10度以下はなく、温暖の方です。(ちなみに日本は北緯30~45度)

    君臨すれども統治しない!

    1920年ごろから大英帝国時代を築き、何十数か国の植民地を持ち、面積にしたら世界の4分の1を支配。長い歴史の中で階級社会が結成されているが、個人主義、民主主義を大事にする法治国家で外交力も維持しています。
    また、国民性としては島国で語学音痴なところは日本人と似ていますが、紳士で義理人情が厚く、はにかみ屋で執念深いところがあり、裏切ると孫の代まで忘れないようで、過去のことは水に流そうという国民とは違います。そして賭け事、ジョーク好きでもあります。
    彼らの人生訓を一言で言うと“Slow but steady.”で、「ゆっくりだが着実に」と訳せますが、軽率に「そうだ!」などと言わないでください。「ゆっくり」ぶりは仕事が遅いなどではなく、軽々しく笑ったりせず、表情の動きのなさを意味し、せせこましくないということです。また、「着実に」は落ち着いて息が長く、飽きることがなく一歩一歩前進する堅実さでもあります。(褒めすぎかな!?)

    ジョークで各国の国民性を楽しみましょう!

    欧米社会では人間関係の潤滑油的役割を果すのがジョークやユーモアで、それのある人、理解する人が一般に好かれるようです。一般にジョークを聞いた時の反応として、イギリス人は最後まで聞いて笑う、フランス人は半分聞いて笑う、イタリア人は最初の文句だけで笑う、ドイツ人は一晩、哲学的に考えて笑う、日本人は最初からニヤニヤ笑って、結局、意味が分からない。アメリカ人は全部を聞いても笑わない。それは既にそのジョークを知っているからということで、これはアメリカ人が作ったジョークだからです。
    ロンドンでの日本人会で戦前から約90年も続いている「パーマンストン会」という、各企業の社長や代表の会合が月1回行われており、駐英日本大使を招いてのランチ会です。ビールは英国式の常温で飲む、苦みのあるビターしか出ません。何で冷やしたラガーでなく、生ぬるいビターを飲むのかの理由は英国人の好きなビールを最初から選んでいたからとのことです。帰国してみると何故かビターの味が大変懐かしくなって来るのは不思議です。
    この会のメンバーで帰任に当たっての挨拶の定番をご紹介しましょう。「世界一幸せな男とは?」それはアメリカの給料を貰って、イギリスの家に住み、中華料理を食べ、日本の女性と結婚することだそうです。駐在員の給料は日本の約2倍 ですのでアメリカ並みになるし、イギリスの家は「お城」と言われるごとく、プライベートが守られ、国家権力といえども無断で入れなく、庭付きでゆったりとした家に住み、ロンドンにはチャイナタウンがあるので何時でも中華料理が食べられ、家内は日本女性だからと。
    それでは「世界一不幸せな男とは」何でしょうか?国際問題になるので大きな声では言えませんが「中国の給料で、日本の家に住み、イギリス料理を食べ、アメリカの女性と結婚することだそうです。最終判断は皆さんにお任せいたします。
    それではもう一つ欧州人を一言で表現したジョークです。「天国と地獄とは」というものがあります。
    *「天国」では警察はイギリス人、コックはフランス人、恋人はイタリア人、技術者はドイツ人、役人はスイス人のようです。
    *「地獄」はどうでしょうか?警察はドイツ人、コックはイギリス人、恋人はスイス人、技術者はイタリア人、役人はフランス人だそうです。イメージ的には的を射ているようですね。

    本物のある、発祥の国

    英国での発祥の数々を上げますと、1204年(日本は鎌倉時代)に大学制度、オックスフォードのマートン・カレッジ(現皇太子が留学した)が創立されています。競馬は約300年前以上の歴史があり、エリザベス女王も沢山の競走馬を保有しており、毎年ダービーに出走させていますが、勝ったことはないと聞いています。その他、スポーツ関係ではサッカー、ラグビー、テニス、クリケット、ゴルフ、カー・レースなどなど英国発です。野球はクリケットを基本にしてアメリカ人が開発したものと言われていますが、英国にはフォーベースという子供たちのゲームがあり、これがオリジナルだと言う人もおりますが、この中から代表的な2つを取り上げてみたいと思います。
    *テニスはロンドン郊外のハンプトン宮殿に16世紀ヘンリー八世がプレーした室内テニスコートが今でも温存されておりますが、何と言ってもウインブルトンが有名ですね。1877年の第1回から15回までは英国の選手が優勝した記録が残っていますが、1945年の終戦以後では約70年間も優勝者が出ておりませんで、英国はウインブルトンというテニスの場を提供して世界に広め、世界中から有名選手を集めて大会を開催し、その経済効果は莫大なものがあります。これを「ウインブルトン方式」と呼んでいます。
    昨今の日本の大相撲も外国人力士が横綱・三役を占め、世界中から天皇賜杯を目指して強豪力士が集まりつつあります。相撲という国技を大いに世界に発信して礼儀に始まり礼儀に終わる相撲道という文化を世界が学んでほしいと願っております。(先ほどウインブルトン大会で英国人の優勝者が出ていないと記しましたが、2013年に82年ぶりにアンデー・マレーが優勝しました。)

    ゴルフの神髄とは

    次にゴルフと言えば発祥の地であるスコットランドのセントアンドリュースですね。内陸部にも素晴らしいゴルフ場が沢山ありますが、全英オープン(The Open)だけは海岸辺りのリンクス・コースしか使用しないのも、その歴史と伝統を大切にしているからです。私も友人や日本から来られたお客様と4回ほどプレーしました。そのスコットランドで何百年と語り継がれている「ゴルフの神髄とは」をご紹介しましょう。
    *飛距離を自慢するのは幼稚園
    *スコアを気にするのは小学生
    *マナーを身に付けるのが中学生
    *周りの景色を見る余裕が出るのは高校生
    *ゴルフの歴史やウンチクを語るのが大学生
    *それでは大人のゴルフとは?「仲間とプレーをエンジョイする」ことだそうです。是非、コンペでの挨拶で使ってください。“ゴルフはドラコンだ!”と豪語する人は“なに!幼稚園だと!”と怒るかもしれませんが。(笑)
    年老いた夫婦がゴルフバッグを自分で引っぱりながらプレーを楽しんでいる姿をよく見かけますが、まさにこれがゴルフなのだと考えさせられます。また、ハーフで食事をしてアルコールを飲んだりするのは日本人だけです。アウトは1番から9番で、インは10番から18番ホールで、クラブハウスから出て行くのでアウトと呼び、10番からはクラブハウスに戻ってくるのでインと呼んでいます。従って、9番と10番はクラブハウスから一番遠いところに設計されております。
    ついでにOBとはコース内にはなく、ボールはどこに飛んでも、そこから打たねばなりません。ゴルフ場と民家のある境目をアウト・オブ・バウンド(OB)と呼びます。前進4打など進行を早めるためのルールはありません。

    何でも賭ける英国人

    ロンドンの街を歩いていると「BOOK MAKER」という看板をよく見かけます。製本屋が沢山あるな~と思ってしまいますが、これが賭け好きな英国人の場外馬券場です。タバコ屋のごとく街の角やパブの隣にあります。この場外馬券場で日本と大きく異なるのが、ありとあらゆる事が賭けの対象になることです。競馬はもちろんのこと、ドッグレース(犬のレース)、ゴルフの全英、全米ほかグランドスラム大会、地元のサッカー、ワールド・サッカーなど。
    スポーツの他に変わったところでは国政選挙で保守党が勝つか、労働党が勝つか。私がいた1983年頃はダイアナ妃が妊娠したら、先ず男か女かに賭けますし、子供が誕生したら、今度はその名前にオッズ(人気度と配当)が出てくるのです。長男が生まれ一番人気はヘンリーだったと記憶していますが、結果はウイリアムスで6番人気、10倍以上の配当でした。従って、このBOOK MAKERは1年中楽しむことが出来るのです。大人の社会(自己責任)と言えるのでしょうか。

    国民の社交の場=パブ

    そして英国と言ったら「パブ」を語らねばなりません。18世紀頃のパブリック・ハウスが語源でどんな小さな町にも教会とパブはあると言われるほど英国人の生活に深く根付いており、国民の社交の場でもあります。時間は午前11時から夜11時までオープンしています。(今は24時間営業かも??)
    スコッチウイスキーほか幅広い世界のお酒が置いてありますが、やはり一番ポピュラーな飲み物はビールです。英国人が一番好きな少し苦味があり常温で飲むビター、冷やして飲むラガー、そして黒い色のスタウトがあります。変わったところでは“オージービール”(オーストラリア産)があり、アルコ―ル度数15度の強いビールです。何故かと言うと昔、英国内で殺人、窃盗、暴力などの犯罪者は地球の反対側に当たるオーストラリアに流刑された先祖から成り立った国だから、のようです。因みに知能犯はアメリカに流刑されたので、その後、発展したという話もまことしやかに語られていますが・・・。東京には「うすけぼー」とか「ローズ アンド クラウン」というイングリッシュ・パブ・レストランがありますので、是非お試ししてください。
    それではジョークを「酒場でビールを一杯頼んだら、ハエが1匹浮かんでいた。」さて、どの国の人がどのように振舞うのでしょうか!!
    ①フランス人:ハエを見つけた方は飲まずに別のビールを頼み、飲んで金を払っている。次に来た時は忘れている。
    ②イギリス人:ハエを見つけて店主に「ハエが入っている」と文句を言い、金を払わずに帰る。二度とその店には行かない。
    ③ドイツ人:ハエが浮いているがアルコールで消毒されているから大丈夫だとそのまま飲んでしまう。
    ④イタリア人:ハエを見つけて店主を呼び「なんでハエが入っているのか!なんていう店だ!」とさんざんののしり2杯のビールをおごらせる。
    ⑤中国人:ハエを見つけて、変わったおつまみが入っているんだな~と感心して、そのまま飲んでしまう。「変わったビールを出す店があるよ」と友達に自慢する。
    ⑥日本人:ハエを見つけて飲まずに金を払って帰る。帰ってから「あの店はハエの浮いたビールを出す店だ。行かない方いいよ」と知り合いに話してまわる。
    ⑦アメリカ人:ハエを見つけて店主を呼び説明し、新しいビールと取り換えてもらう。これもアメリカ人が作ったジョークですね~。

    ローストビーフ アンド ヨークシャープディグ ウイズ ホースラディシュ

    次に英国料理ですが、皆さんご存知のように「まず、美味しい料理ではない。」という定説がありますが!?スコットランドのアンガスビーフ、サーモン、ウエールズのラム(生後3か月くらいの子羊で草を食べる前につぶしますので臭味もなく美味しい。値段はビーフより高い)、野うさぎ、鹿など、英国は実に良質な食材の宝庫ですが、料理の「理」、すなわちクッキングの仕方が上手ではないようです。やはり前述の良いシェフではないようです。
    でも有名なのが子供から大人まで人気のある「フィッシュ アンド チップス」、「ステーキ アンド キドニー パイ」(これは私が好きになった)、そして「ローストビーフ」ですね。ローストビーフはヨークシャープディングというパンの出来そこないのパイと肉汁から作ったグレイビーソースをかけてホースラディシュ(西洋ワサビ)と一緒に食べるのが伝統的で美味しいです。ローストビーフは牛の部位でもサーロインやフィレの上等な肉ではなく肩ロースやもも肉などをロースト(焼く)したら美味しく食べられたということで一般家庭に広まり、世界的にも英国料理の代表格になりました。
    この考え方は仙台の牛タンに似ていると思いました。仙台牛の肉の部分は東京に売ってお金にして、残ったタンを食べるようなもので、英国も北海油田が出るまでは資源のない国でしたのでビーフも上等な部分は海外に売って外貨を稼いで来たのではと思いました!?
    英国が世界を制覇して大英帝国を築いた理由の一つに、このまずい料理があったからで、どこの国に行っても自国より美味しい料理があるので、その国に腰を落ち着けて支配して行ったのではないかと・・・!?

    グレーター・ロンドンのグリーンベルト(緑地緩衝帯)

    ロンドンの一等地を占めるのは広大なハイドパーク、リージェントパークそして街の至る所にガーデン、ヒース、コモン、スクエアーなどと呼ぶ大小の名もない公園が多くあります。これらの緑地が人々にゆとり、豊かさと新鮮な空気の供給を担っていると言えます。
    また、リージェントストリート、ピカデリー、ウエストエンド、シティーを散策して「いいなア~、こんな美しい環境の中で暮らしたいなア~」、「いいなア~、古い建物他がきちんと残されて!」。これらの景観は歴史の重みを感じさせてくれるので、日本人観光客のみならず世界の人々の憧れの的でもあります。
    更にその何十倍もの緑地がロンドン市をぐるりと囲んでいます。約30キロメートル幅で同心円状の「グリーンベルト」、即ち緑地緩衝帯で、その中には建物は禁止されており、開発そのものを抑制しています。皆さんもヒースロー空港から市内に入るとき、草原があり、牛や羊たちのゆったりとした風景を見られたでしょう。このグリーンベルト計画は第二次大戦後の国土復興計画として設定されたもので、目的はロンドンの混雑緩和のためとこの美しい自然を子孫に残し、緑あふれる生活を享受してもらうためであります。

    ナショナル・トラスト活動の原点

    多分、皆さんには「ナショナル・トラスト」という言葉を聞いたことがあると思いますが、英国最大の環境保護団体で約100年前(1895年ごろ)にある市民活動家によって創設されました。正式名称は「The National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty」で美しい自然や貴重な歴史的建造物、遺跡を国民の寄付や寄贈によって取得し、保存、管理、公開することを目的とした民間組織です。英国全土で約350か所、全海岸線の約800キロメートルなるようです。
    ここで重要な点は政府の補助は受け取らず、膨大な運営のほとんどは会員からの年会費と企業の寄付、ボランティアによって賄われています。この団体の現在の会員数は約380万人で国民の18人に1人が会員です。またこの活動はアメリカ他20数か国に広がっており、日本も1992年に環境省の認可を得て設立されており、社団法人日本ナショナル・トラスト協会ですが、現在の会員数はたったの20万人弱です。帰国する度に故郷の変貌ぶりにショックを受ける日本人から見て、これらの保存制度はうらやましい限りだと思います。

    議員内閣制は日本と同じだが・・・

  • 【英国国会議事堂とビッグベン(1980年ごろ)】
    日本では「政治とカネ」問題はいつまでたっても出ては消え、消えては出ており、「政治資金規制法」はザル法で、いくら改正しても、また領収書を1円からと議論されてウンザリする毎日ですね。ここで政治論を語るつもりはありませんが、「政治家の汚職防止策」として英国には大変良いお手本がありますのでご紹介します。
    1.コード オブ コンタクト(行動規範):特に大臣。最初の閣議が開かれる時、閣議室のテーブルの各大臣の前に分厚いファイルが置いてあり、そこには自分の職業に関係ありそうな会社の兼務は駄目だとか、大臣としての禁止事項が全部書いてあり、これに違反したら即辞任ですよということを事前に誓うことを行います。
    2.レジスター オブ インタレスト(利益の登録):議員全員。これは議員全員の義務です。例え、航空券1枚でももらったものは必ず登録する義務です。日本はこれぐらいのことをやらないと政治家不信はなくならないでしょう。
    要するに、政治の信頼を回復するには官僚を叩くのでもなく、対立政党の欠点をあげつらうものでもありません。政治家自らの身を律することに尽きるということです。
    また、内閣・国会議員・官僚の役割の違いは下記の通りです。
  • *英国:①内閣は官僚に対し指揮を執り、官僚はそれに基づいて複数の案を出す。②国会議員は内閣に対し陳情、内閣はそれに応答する。③国会議員と官僚の間は大臣以外は接触禁止(ここが一番大きい違いで、100年以上前に実施)
    *日本:①内閣は官僚から原案を貰うだけで、指揮力がなく沈黙している。②内閣と国会議員は議案提出を多数決で決定する。③国会議員は官僚に陳情し(役人天国になりやすい)、官僚は国会議員と根回し(これで族議員が生まれる原因となる)。
    英国は二大政党の議会政治ですが、「晴れた日の労働党、雨の日の保守党という誇りがあり、国の舵取りを上手く進めているが・・・。また、30年ぐらい前に、当時のソ連邦書記長ゴルバチョフ氏が「日本は世界でもっとも成功した社会主義国家だ」と言ったことが思い出されます。日本は官僚国家なのでしょうか!

    大英帝国が衰退する時の社会現象を見てみましょう!

    1920年代~40年代に豊かな社会を達成し、世界一の生活水準を誇った英国が第二次大戦後、戦勝国であったが衰退していった社会現象が、今日の日本の状況によく似てきているので、参考までに列記いたします。皆さん、考えてみましょう。
    A.政治のリーダーシップが欠如し、内閣がいくつも交代し、連立政権が続き、政治が何も決められない。(現在は自民党の1強6弱で、日本では健全な二大政党は出来ないのでしょうか?)
    B.財政の構造的破綻が起き、税制問題が起きる。
    C.国内で贅沢ができ、洗練され過ぎた生活に若者が浸り、国としての活力が失われ、モラルが崩壊してくる。若者が仕事で海外に出るのを嫌がる。(価値観の変化)
    D.グルメブームと旅行がブームで、国民は楽しみのため海外への個人・団体旅行も増大してくる。
    E.ストレス解消のため健康産業が流行し、雑誌や新聞には健康食品などの広告でいっぱいに。(当時はテレビがなかった時代)
    F.若者が活字離れで、本を読みたがらない。
    G.人口減少の傾向になってくる、など。

    英国の夏は素晴らしい!

    英国には“We have four seasons a day,”(私たちは一日に四季がある)という格言があり、天候が一日のうちで晴れ、曇り、雨、風と変化することです。常にこうもり傘を持って外出しなさいということです。しかしながら、一年で誰もが待ちわびる最も良い季節が夏であり、その期間は5月から8月ぐらいです。
    夏と言っても、日本の春と初夏,秋を凝縮したような季節です。この時期は比較的に晴れた日が多く、最も太陽の長い6月ごろは夜10時まで日が暮れず新聞が読めるぐらいです。空気は乾燥し、気温も30℃を超えることはめったになく、本当に気持ちの良い日が続きます。“ジューン・ブライト”(6月の花嫁)とも言われ、バラを代表する花々も美しく、この時期に結婚すると女性は一生幸せになれるということです。
    最近の旅行者は英国の地方を旅する人が増えて、ピーターラビットで有名な湖水地方、古い田舎町コッツウォルズ、映画「嵐が丘」のハワースの薄紫のヒースの丘、機関車発祥のヨーク、シェイクスピア生誕の地、ストーンヘンジの遺跡、スコットランドのネス湖等々・・・。
    英国生活を通じて、どちらかと言うと「英国礼賛」のような想い出を面々と部分的に記してまいりましたが、「りんごの木」から始まって、“兎追いしあの山・・・忘れがたき故郷”の詩のごとく、私たちがいつ訪れても受け入れてくれる安心感のある英国を心の中では第二の故郷として沢山の想い出を大事に、そしていろいろと苦労をかけ、二人三脚で喜怒哀楽を共にしてきた家内に感謝を表したいと思います。
    最後に英国が2019年3月のEU離脱に向けて健全な判断力で最善の道を選択して益々発展することを心から祈念しております。多謝!
    “HAVE A NICE TRIP TO UK!!”

    明治大学校友会ロンドン支部設立

    1994年10月に海外で11番目の校友会ロンドン支部の結成にこぎつけ、不肖私が初代支部長に、幹事長は青木幹則氏(北海道銀行の駐在員、現当会理事)が就任し、総勢40名でスタート。翌年1995年1月17日(阪神大震災)にロンドンで本校から岡野学長ご臨席を賜り、第一回の総会・懇親会を盛大に行いました。岡野学長曰く「ロンドン支部設立おめでとう。今朝、日本を発つときは、大した地震でないと思っていたが、大惨事になったようだね!(中略)明大は昔は東北大学レベルだったが、今は一橋大学レベルになった。・・・」と。会場は「頑張れ、頑張れ、明治!!」の大拍手が起こった。
    そして私は、1996年3月にニューヨーク転勤になりました。ここでは30数年の歴史があるニューヨーク支部の皆さんとゴルフ、釣りなどの多くの行事で楽しく過ごしました。いつでも最後に肩を組んで校歌を歌うのが最高ですね。
  • 【校友会ニューヨーク支部で岡野加穂留学長(当時)を囲んで(1997年7月)】

    ILO政労使三者構成会議に出席して

    1990年12月、スイス・ジュネーブで開催のILO(国際労働機構)の第3回印刷及び関連産業三者構成技術会議が開催されて、日本側から政府・労働組合・使用者の三者代表団が出席。私は使用者側の代表団(準公務員資格で)の一人として出席しました。
    ここでは三者にとって一番重要な「働き方」に絞って要点を記したいと思います。
    年間一人当たり平均労働時間は1990年ごろではドイツが約1600時間、日本が約2100時間で、日本は500時間も多く働いています。これが現在ではドイツが約1360時間で日本が約1720時間で、日本は360時間も多く働いています。
    これをドイツ人に言わせると、「俺たちの方が“WORK HARD(一生懸命働いて)”おり、日本人は“WORK LONG(ただ長く働いて)”いる」というジョークになります。
    ILOが定めている労働の基本は「労働者の健康・安全・福祉の面から週40時間以内の労働で、残業が日常化することは好ましくない」ということです。ここで大きく考え方の違いは残業代の率です。欧州各国とオーストラリアでは週40時間を超える場合には、最初の3陣間は5割増し、4時間以降と土曜日、日曜日出勤は10割増しとなっております。これでは経営者側でも時間外労働に頼る訳にはいかなでしょう。そしてILOが決めている残業代の率は「オーバータイム ワーキング レート」ではなく「ペナルティ レート」(残業の罰金レート)」という概念です。
    この項ではここを一番強調したいところです。過労死は絶対あってはならないことです。昨今、日本の国会では「働き方改革」や「外国人労働者の受入れ」に関して議論しており、それはそれとして我が国がゆとり社会に向けて真剣に取り組んでほしいことは、「時短」と「役員、管理職、従業員全員が年次有給休暇を完全取得すること」です。
    要熟考!!

    20世紀一千年の出来事と人物リスト

    私は2000年3月に海外勤務を終えて帰国しました。当時、米国のライフ出版社が西暦1001年~1999年までの一千年を振り返り、世界史上で最も重要な出来事と人物の百選番付の特集号を発行されたので、各5位と日本の入選を参考までにご紹介します。
    (Ⅰ)出来事では:
    *第1位はドイツ人グーテンベルグによる活版印刷術の発明(1455年)。聖書印刷により聖書を特権階級から大衆レベルに普及させた。同時に宗教書、ギリシャ・ローマ時代の古典、科学書などの普及に貢献。
    *第2位はコロンブスのアメリカ大陸到着(1492年)。第3位はマーチン・ルターの宗教改革(1519年)。第4位はワットの蒸気機関車の発明(1769年)。第5位はガリレオの地動説主張(1610年)。
    *日本では第83位に紫式部による世界初の長編物語「源氏物語」の完成(1008年ごろ)。第88位に明治維新に伴う日本開国(1868年)。
    (Ⅱ)人物では:
    第1位エジソン、第2位コロンブス、第3位ルター、第4位ガリレオ、第5位ダビンチ、日本では第86位に葛飾北斎(浮世絵)のみ。