有賀 隆治
(ありが・たかはる=昭和40年経営卒、連合駿台会顧問・評議員、元凸版印刷常務取締役)
2018年9月27日
私は愛知県半田市まれで今年創立100周年の県立半田高校出身です。母校からは日本経団連第7代会長の平岩外四氏、第13代会長の榊原定征氏を輩出し、大変な名誉と誇りです。
昭和40(1965)年経営学部を卒業し、凸版印刷株式会社に入社、本社外国部、後の海外事業部に配属されました。
私の大学時代の想い出は、①1年生の春、六大学野球の優勝祝いで神宮球場から駿河台までの提灯行列に参加、②米国のケネディ大統領がダラスで暗殺され、ちょうど日米衛星テレビ放送が開通した日に米国から生の映像を見てびっくり、③4年生の時に東京五輪の武道館で柔道を観戦、 私たちの目の前で神永先輩がヘーシングに敗れ大ショック、④今年で創部128年の歴史と伝統のある雄弁部を全うでき、⑤全学連・学部執行委員を務め、➅ゼミナール協議会会長を仰せつかったこと、など盛り沢山です。
海外駐在20年間と5大陸57カ国訪問
昭和42(1967)年3月、米国・ニューヨーク事務所に約4年間、独身で駐在、その後、英国・ロンドン駐在を2回、ニューヨークに2回目の赴任など、合計20年の駐在を含め、仕事で海外を訪問したのは5大陸、57カ国に及びます。歴史、言葉、文化、食べ物など異なる人々に接して思うことは人間の喜怒哀楽の表現はみな同じですし、誠意を持って接すれば必ず心は通じ合うことを学びました。同時に日本人と大きく異なることは、YES、NOをはっきり言うこと。また、人間関係の中ではユーモアとかジョークが大事にされ、お互いの理解の潤滑油的な役目を果たします。沈黙は金なり、という考えはありません。
この海外出張の中で、飛行機が悪天候に見舞われて死を覚悟したことが3回もありました。その恐怖は決して忘れることが出来ません。生きて来た喜びは今年で喜寿を迎えたこともあり、本当に運が良かったし、神様に感謝、感謝!
終戦後、日本は全ての産業、企業が焼け野原のゼロからの出発。印刷業も基礎技術を独、英国などから、大量生産技術を米国から学び、私たちの先輩が、それこそ、月月火水木金金のごとく昼夜を問わず働いてくれたお陰で、1960年代に当時の経済白書に「もう戦後は終わった」と表明し、欧米に追い付け追い越せのスローガンで国全体が高度経済成長期に突き進んでいきました。
凸版印刷は空気と水以外は印刷可能
凸版印刷も1963年に香港工場を、1964年にニューヨーク事務所、1967年にロンドン事務所を設立し、海外進出を図りました。その後、グローバル化の進展でアジア、米国、欧州など15カ国に約70数カ所の現地法人や駐在事務所を開設、多くの分野に事業を拡大して技術力、マーケティング力で現地のお客様の多様なニーズに対応してきました。
主な製品では高級美術出版物、切手印刷、ニューヨークや香港の地下鉄のプリペイド・カード、家具やテーブルの表面に使用する木目柄、大理石柄の建装材、タッチパネル、プリント配線板、包装材用紙器、フィルム印刷など、空気と水以外は何でも印刷可能です。
世界の美術出版界では<PRINTED IN JAPAN>は高品質印刷の代名詞になっています。また、凸版の偽造防止技術が世界に評価されたのは米国国務省の国際入札でパスポート・ プリンター機器とシステムを受注し、米国人のパスポートを凸版のシステムで製造しているからです。
【凸版欧米責任者会議(凸版米国のニュージャージー工場で)】
憧れのニューヨークで決意と不安が
1967年にニューヨークに赴任したころ、1ドルは360円時代で日本はまだ貧乏だったため外貨米ドル準備高が少なく、一人当たり500ドル、円は10万円しか持って行けませんでした。飛行機はJALがハワイしか飛べず、私はノースウエスト航空で羽田を発ち、シアトルで給油してニューヨークまで約25時間もかかりました。今では成田からの直行便で13時間ですから、隔世の感がします。何と言っても第一印象はエンパイヤーステートビルやクライスラービルなどマンハッタンの摩天楼を目の当たりにしたことで、「俺はここで仕事をするのか!よし!!」という決意と不安で身の引き締まる思いでした。街を歩く人々の速さや経済のスピードが、日本の2倍も速い感じがしました。アパートでは水洗トイレ、水道はひねればお湯が出るといった生活水準の格差を知り、日本はよくも米国と戦争をしたのだなあ、と思い、山本五十六元帥が「真珠湾攻撃は眠れる獅子を起こすようなもの」と語ったことを実感できました。
その後、仕事上で英会話にはいろいろと苦労しましたが、日本が戦争に勝っておれば米国人はみな日本語を話したのになあ、と何度思ったことか?!でも、心を和ませてくれたのは、坂本九ちゃんの「すき焼きソング(上を向いて歩こう)」が大人気で、皆さんが口ずさんでいたことです。
【1967年ごろのニューヨーク摩天楼】
赤紙を拒否した英雄カシアス・クレー
また、当時はベトナム戦争中で、米国に6カ月以上滞在する男性は全て兵役の義務があり、24歳の私は赤紙(軍人の召集令状)の一番候補だったのですが、運よく来ませんでした。日本人の駐在員の場合、赤紙が来たら帰国させることで逃れられますが、学生でベトナムに行って帰って来た者は体を張った勲章として即時永久ビザがもらえました。当時、徴兵制で一番の話題は私と同じ年齢のボクサー、カシアス・クレーが赤紙を受けて、「この戦争は黒人兵を最前線に配置しているし、戦争自体に反対だ」と言って世界ヘビー級チャンピオンの資格を剥奪され、3年間も収監されたことでした。その後、カシアス・クレーはイスラム教徒になりモハメッド・アリと名前を換えて再度世界チャンピオンに返り咲きました。そして米国の良さ、素晴らしさは1996年のアトランタ五輪の聖火台の点火役に前科者のモハメッド・アリを抜擢したことです。
米国の強みである広さは考え方の根源
最初に米国大陸を横断した時から日本の約25倍の面積という広さに驚きました。日本はカリフォルニア州の中に入ってしまいます。東と西、即ちニューヨークからロサンゼルスはジェット機で5時間かかり、時差が3時間ある。この時差がいかに辛いかは経験した者でないと分かりません。大リーグのイチローや松井たちが、ローテーションのある投手とは違い、毎日の出場で移動する度に時差と戦いながら体調管理をし、実績、記録を作るのがいかに大変で難しいことか、彼らのプロ根性に敬服するばかりです。
私の例を上げましょう。私もニューヨーク本社からロサンゼルス営業所とお得意様訪問で定期的に出張しますが、朝NYを午前9時(ロス時間朝6時)出発の飛行機で行くとロサンゼルス午前11時(NY午後2時)着、会議、得意先訪問を終えて、午後6時(NY午後9時)に社員と食事をして、午後9時(NY12時真夜中)にカラオケに行って、ホテルに戻り寝るのが夜12時(NY翌日午前3時)になります。時差の辛さがお分かりでしょう?!
また、この広い国土には石油、シェールオイル、石炭など豊富な天然資源、小麦、大豆、トウモロコシなどの輸出国で農業大国でもあります。各州や地域によって異なった産業(自動車、機械など)が分布、発展しています。この広さが米国の強みであり、物の考え方の根源ではないかと思います。
同じ国土の広さを持つ中国は、人口は数倍ありますが、国内で時差はつくらず北京時間に合わせて生活していますし、人の移動にも制約があり、自由に原籍地を離れられません。米国では東部が駄目なら中部、西部へと人の移動は自由です。特に日本と大きく異なるのが、米国人は会社などへの忠誠心はなく、常により良い給料を稼ぐため平気で転職をし、自分自身の価値を向上させていくことです。
ニューヨーク郊外の中流以上が住む家は庭付きで車を3台とめられるスペースがあります。経済的にも、スペースは有効需要を創造する一大要素と言えます。それにつけても日本は狭い。世界屈指の経済大国になりながら、豊かさを実感できない原因はスペースの欠如であり、心のゆとりを持てないことです。従って、米国的発想、自由闊達な発想、気宇壮大な構想などは、この大地の所産であると思います。
日本の牛肉の値段が米国の数倍にもなるのは、日本は肉牛にビールを飲ませ、マッサージをし、モーツァルトを聴かせながら育てるからで、米国の牛は広い草原に放し、日本の25分の1になる安い草を食べているからでしょう(笑)。
【400㎞も続くグランドキャニオンにて】
E PLURIBUS UNUM(イ プルリーバス ウナム)
米国はもともと移民の国で、人種のルツボと言われ、白人、黒人、アジア人、南米系のヒスパニックは急増しています。毎年100万人以上の移民を受け入れており、人口は増え続けています。でも政治、経済、文化などを支配しているのが、昔からWASP(ワスプ)と言われるホワイト・アングロサクソン・プロテスタントの白人系民族と言われますが、ついに黒人のオバマ大統領が誕生しました。さすが自由・平等・民主主義・個人主義を重んじる国であり、建国してまだ250年もたっていない若い国でアメリカン・ドリーム、フロンティア精神旺盛な国民である証拠です。
忘れてはならないのはユダヤ人で、人口の約2%強いますが、真面目で、働き者、教育熱心な民族で、医者、弁護士、会計士、政治家、学者、マスコミ界などで活躍するする人もすくなくありません。ジョゼフ・ピュリツァー、ヘンリー・キッシンジャー、スティーブ・スピルバーグなどです。ユダヤ人のことを英語で〝ジュウ〟と呼ぶが、そのまま発音すると相手に分かってしまうので、私たちは〝九一さん〟(足すと十になる)と呼んでいました。
米国のコインは1、5、10、25セントと1ドルがありますが、全てにこの「E PLURIBUS UNUM」という文字が刻まれています。これはラテン語で「多様から統一」、「みんな一緒に」という意味であることを知りました。 多民族国家としての国是であり、毎日使っているコインに刻み込んで悲願とも思える大事業に向けてひたむきな努力を続けています。
小学校の朝礼では校庭に立てられた旗竿に生徒の代表が星条旗をスルスルと掲げると、教師も生徒も全員が旗に向かって挙手の礼をしつつ、誓いの言葉を唱えています。子供のころから躾の一つとして多様から統一を念じ、国旗に対して忠誠を誓うことを教えています。野球やアメフトの試合の始まる前に、観客も選手も総立ちで手を胸に当てて国家を斉唱する場面をテレビなどで見られたことでしょう。
日本では「日の丸」や「君が代」論議がされていますが、日の丸は徳川幕府の制定した船印であり、君が代は和漢朗詠集に発することを知れば、何も戦争、軍国主義に繋がるというものでもありません。大切なことは、国民がこぞって日本国のアイデンティティーを早急に打ち立てるべきだということです。特に海外で仕事、生活する者にとっては日本人として自国の文化に誇りを持つとともに、相手国の文化を尊重し理解することが大事です。多くの良識ある駐在員は、ある意味では民間外交官の役割をも果たしていると言えます。
ついでに米ドル紙幣には「IN GOD WE TRUST(我々は神を信じる)」と印刷されており、その宗教心の強さを感じます。
米国の銃社会は変わるのでしょうか?
昨年のラスベガス、今年のフロリダなどで年中、銃乱射事件が起こり高校生や一般人を含め多数の犠牲者が出ています。私が初めてこの国に来た時もあちこちに銃販売店があるし、ドライブインで各種の弾丸を売っているのには驚きました。我が工場の従業員の車の中には男女を問わず必ず拳銃を所有しているのです。そもそも米国の憲法が「国民の銃保有の権利」を認めており、「自分の身は自分で守る」ことが当たり前になっています。
最近の乱射事件から若者中心に銃規制強化のデモ行進もあり、国民の約7割は規制を望んでいるようです。2020年の大統領選挙時にどうなるかを見守っていきたいと思います。
目の当たりにした米国のセクハラ問題
最近、日本でも政治家、実業家、スポーツ界でのパワハラ(パワーハラスメント)、セクハラ(セクシュアルハラスメント)がマスコミで大きな話題になっています、私の駐在中に米国で日系企業がセクハラ訴訟になった大事件を記します。
1992年、シカゴの三菱自動車現地法人の実例です。女性従業員が「性的嫌がらせを受けた」として雇用機会均等委員会(EEOC)に提訴したことに始まります。EEOCは1997年4月に約700人の女性従業員の賠償と現場復帰を求めてイリノイ州の連邦地方裁判所に訴えを起こし、被害を受けた女性一人当たりの最高賠償金額は30万ドル(約3600万円)にもなり、米国最大規模のセクハラ訴訟となったものです。そこで、ここでは三菱自動車の問題はともかくとして、日米の文化、社会、価値観の違いで、米国では大変大きな社会問題であるという視点で記します。
米国におけるセクハラの歴史は1976年に米国裁判所が公民権法第7条雇用差別の禁止法(人種、皮膚の色、出生国、宗教、性別などによる差別)のもとに、「性的差別(セクハラ)を認識」したことに始まります。当初は個人的な問題として扱われていましたが、訴訟の数が年々増加して大きな社会問題として組織レベルの対応、会社側の責任が問われるようになったのです。すなわち、雇用におけるあらゆる種類の差別を禁止、撤廃しようとする考え方です。EEOCのガイドライン「どんな行為が性的差別と見なされるか」の具体例を記します。
1.昇進や昇給、魅力的な仕事内容、雇用の継続などへの配慮を条件に性的な関係を要求する(人事権の利用)。
2.性的な要求を受入れた女性は昇進、昇給させ、拒否した女性を昇進、昇給させない。
3.女性が業務を遂行しようとするのを、性的な話題を出すことで妨害する。
4.業務にかこつけて個人的な接触をはかる。
5.嫌がっているのにしつこく交際を求める。
6.強引に食事や飲酒に誘ったり、飲酒を強要する。
7.性的な内容を意味する絵や文章、写真を見せること。(我々の事務所でもヘアー写真のある日本の週刊誌などは女性従業員の見える場所には一切置かないようにしている。)
8.体に触れる、動きを妨げる、覆いかぶさるなどの行為。
9.女性が不快感を表明しているのに、身体や容貌の魅力や欠点、化粧、香水などのコメントをする。
10.以上、述べたような行為を部下が受けたことを知っていたにも関わらず、管理職がそれを黙認したり放任したりする。
等々。
皆さん、米国で現地従業員を雇用して仕事をする場合にいかに言動に注意しなければならないかお分かりいただけたことと思います。
もちろん、セクハラを判断する上でのキーワードは、それらの行為が受け入れられていたものなのか、歓迎されていないものだったのかということです。訴えを起こした従業員が明らかにその行為を歓迎し、むしろ助長していた場合には誰も責任を負うことはありません。しかし、その行為が歓迎されているものなのか、されざるものなのかは被害者本人にしか分かりません。
いずれにしても、お茶をだすのは女性の仕事、女性は感情的過ぎるといった考え方や、女性は家庭を守るべきといった固定観念では、これからの女性を活用することは難しくなるでしょう。
余談ですが、米国では石を投げれば弁護士に当たると言われている。多分100万人の弁護士がいるのでしょう。米国が訴訟王国と言われるのは、弁護士のせいだと言う人もいますが、ある面では当たっていると思います。個人や企業の金のあるところの弁護はするが、金のない貧乏人相手の訴訟は引き受けないという悪徳弁護士もかなりおり、生き残って行くために何でも訴訟に持って行き、成功報酬で稼ぐため、訴訟社会を弁護士自ら作り上げている部分もあります。セクハラ訴訟を扱う弁護士の数も訴訟件数の増加に伴って急増しているようです。
最後に企業側(大学も含め)としてのセクハラ問題防止策は、組織内に苦情処理部門を設けて、この行為を見逃すことなく断固たる措置をとる社内規則を作り、従業員に周知徹底することでしょう。
日本でもキャリア・ウーマンの女性がどんどん増えており、男性天国と言われた社会構造が変わりつつありますし、社会、企業は女性の活用が益々必要になってきますので、遅かれ早かれ米国と同じ道を歩んで行くのでしょう。会社の慰安旅行で上司が浴衣姿の女性にビールをつがせる風土がいつまで続くのかと心の中では心配しながら、報告と致します。
「永遠の若者活躍社会」米国に学ぶべし
米国が世界の警察官(暴力団と言う人もいるが)を降りたといえども、突出した総合力、即ち軍事力、対外交渉力、文化情報発信力など依然として世界最強と言わざるを得ません。また、ゲイツ(マイクロソフト)、ザッカーバーグ(フェイスブック)、ベソス(アマゾン)など若い指導者、旺盛な起業家精神やベンチャービジネスなど、永遠の若者活躍社会でもあります。総じて米国人から学ぶものを整理すると、①ボランティア精神(子供のころから身につけている)、②向学心(夢を持ち、マイペースで自己啓発、25歳以上の大学生が多い)、③積極的な寄付行為(大学、社会の公共施設などに)です。
以上、多民族国家米国についてほんの一部をご紹介しましたが、私は決して〝米国かぶれ〟でもなく、戦前から世界の基軸通貨として君臨してきたが、金の保有量の減少で1971年8月突如ニクソン大統領は「米ドルと金の兌換の停止宣言」を発表し、ドルはただの紙切れになった(ドル・ショック)が、腐っても鯛で、その後も世界の政治、経済、文化をリードしていると言う視点で記しました。
米国の良いところを見ていただければ幸甚です。
GOD BLESS YOU!(神のご加護がありますように!)